20年前ドイツへ音楽の研修に行きました。
そのときに彫塑的人間学という講義があり、医者であり生物学者でもあったドイツの先生は、
何と本物の人骨を一体持ち込んでくださいました。
筋肉や腱などなくなりバラバラなので本当に骨自体を近しく見たり手にして触ったりしてつぶさに観察できたのです。
初めて見て、触る人骨の、えもいわれぬ美しさに感動の連続でした。
脚の脛(スネ)の骨(脛骨)の、血液の流れと筋肉で形造られた見たことも無い(自然界にはない)美しい形。
そこに見られたねじれのラインは美しいメロディーが流れた後の軌跡のよう。
上から下へ連続する背骨の骨(頸椎7、胸椎12、腰椎5)がバラバラに置いてある。
「順番に並べて下さい」と先生が言われた。
えーっそんなことができるのか私たちに!?
と思いつつ、パズルのように順番に並べていったときに見えた、
椎骨(ついこつ)たちの絶妙な変容の在り方。
数の神秘と、そこに見える完璧な音階とリズム。
肘から先の二つの骨(尺骨ととう骨)の、それぞれの天と地が逆方向になっているのを見た時の驚き。
そこにたしかに天へ開いていく長調と地へと閉じていく短調のハーモニーが響いている。
一体誰がこんなものを創るというのか❗️
人骨は天と地がなした見事というしかない(いやそれ以上の)彫塑なのです。
そこに見られる宇宙の美と叡智はまさしく音楽そのものでもあると感じられました。
その頃の私は悩み多き魂生活を送っていましたが、
この骨が!
この美と、宇宙の真理と叡智と調和が!
私の中にあるんだから私は大丈夫❗️
と無条件に明るく強く内から力づけられたのです。
霊が、光が、結晶する。
外に見えるあらゆる物の中に、
そして人間の内深くでも。
「人間は音楽そのもの」です。
それは宇宙の霊の音楽です。
えるえるエッセイ 音のヒーラーになった私の物語り
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〈人間は音楽そのものである R.シュタイナー〉
「どんな人間の内側にも神性が宿っている」
これがシュタイナー思想の人間観の根幹です。その神性=自我の部分は(たとえ外に病気や障碍が現れていても、その神性部分は病むことも壊れることもなく)完全で光輝いていて永遠不滅であり宇宙の神霊と源を同じくしている。
私の内のどこかはこのことを真実として知っていたように思います。
しかし私はそれを、私自身の人生をかけて私の外面・内面を通して検証する必要がありました。
〈 神性は泉である〉
シュタイナー思想にインスパイアされ音楽と人間のことをもっと深く知りたいと内側から強い欲求が湧いたとき、私はライアーと出会い、時を同じくして発達障碍の子どもたちと出会いました。
発達に関して内的なデコボコや固まりを抱える彼らの、極端に洗練されていない表現にいちいち驚かされました。リコーダーを太鼓のバチ代わりにしてまっぷたつにしてのん気な顔でいる子、教室の壁に突進しては自分の体を強く打ちつける動きが止まらない子…。悪気がある訳ではないのです、それぞれ事情がありで、彼らは不器用で不安定で落ち着きませんでした。
そんなある日、どんなグループ授業でも常にパニック状態に陥っている子が、皆の輪の中で静かに微笑んでいる姿を発見して驚きました。ライアーを聴いている時間でした。
彼だけではありませんでした。周りの子もすっかり鎮まり、ほっこりまとまって穏やかに座っているではありませんか。
内的な困難を抱えていて不安定な彼らが、音楽的にまず求めていたものはライアーの静かな響きでした。押し付けがましくないこのライアーの、柔らかく開放的な響きの中に子どもたちの内面は解きほぐされてのびのび出てこれるのです。隣の子との間にも暖かい空気が流れているようでした。
子どもがこの場所にこの身体に安心してリラックスしていられる、このことのためにライアーの響きはいつも欠かせないものとなりました。
そしてまた逆に緊張と集中したエネルギーを必要とするような音楽作品を創っていくとき(思春期の子供たちでしたので仲間とのこのような経験もかけがえのないものでした)にも、彼らの繊細な魂の柔らかさが表現され洗練されたパフォーマンスを引き出すのは他のどんな楽器でもなく、やはり音の小さなライアーなのでした。
このとき空間が光と愛と安心感で満たされるようでした。周囲のどこかから、或いは宇宙の無尽蔵の神性の泉から、その清らかで静謐なふんいきは流れこんできて私たちに触れてくれ満たしてくれているようでした。
ライアーの繊細な音とそれに耳を傾ける人間の魂が器となって、私たちの周りの空間にいる目に見えない存在たちが助けてくれる。
これに気付いたのは子どもたちとの音楽経験、そして多くの大人の方々とのライアーの練習のおかげでした。
〈 霊の光が心を照らす〉
一方で、私は思春期の頃から重苦しい自分を感じていました。多感な時期の大切な人の病死、自死。外の世界に対する自分の願望や憧れの歪み。それは言葉にならぬような問いとともにありました。私はなぜ苦しいのか、…目の前の人の運命はなぜこのようなのか、…私はどうしてここにいるのか、…
時を経ても、人生の外面が変わっても、この問いは繰り返し浮上してきました。何ともいえない不自由さや重苦しさ、ときに心の痛み身体の痛みと一緒に。
音楽教師の両親のもとで子どもの頃から音楽に親しみ音楽の練習も積んできた私でしたが、大人として取り組んだライアーの修練はここぞとばかりに私にひどく不自由を感じさせました。それまでの音楽的慣習で望まれるままにライアーの手ほどきをしたり人前で演奏をしたりしましたが、ますます私の外面と内面は乖離していくようでした。
ライアーは音楽の霊性(宇宙法則)と人間の霊性(神性自我)に光が当たる楽器です。
その光が私の内に当たった時、自ずと自分の内界の不自由な在りよう=闇も、気づきの光のもとに明らかになったのです。その時発見したのは、なんと私が長年観察してきた発達障碍の子どもの中に見ていた事と同じだったのです。つまり、私の内側にもひどくデコボコや固まりがある。霊の観点からは私も発達障碍であったのだ!ということでした。
私はバランスをとり癒される必要がありました。これまでそこにあっても見ないようにしてきた重苦しさ、痛み、人生の問いがまた浮上して来て今こそそれを見るようにと運命に迫られました。これらはすべて…痛みすらも、私の霊からやって来るものであることをこの焼かれるような浄化のプロセスが私に気付かせてくれたのです。
同時に、この自分を通しての痛み苦しみこそが自分とそして世界をも癒す変容の種となりうるかも知れないこと。音を通して私が宇宙に遍く生命エネルギーを地球に通す触媒となれるかも知れないことにも。
このように私が自分の内面深くに耳を傾けることができたのは、そして私が自分の魂の奥から音を創り出すという予感と希望を掴めたのはライアーの響きのおかげでした。ライアーがいつも傍らにあってくれ、音と音楽がこれまでとは違う次元で私を助けてくれていたのです。
半世紀ばかり生きて…私は“ライアーと声のヒーラー”として立つことを新しく決意しました。
〈 光と愛が音になる〉
ヒーリングでは、どなたの内にもある神性が、音楽として現れて輝くことがあります。
その光、その愛が、音として聴こえるときの魂のふるえと魂の充足、は他にたとえようがないものです。ヒーリングでその方の波動にない音が出ることはありません。それはたしかにその方の高い魂と霊性の音楽です……、まさに魂に張られた琴線を宇宙の星が奏でるごとくです。これ以上に美しい音楽を私は知りません。
またヒーリングでは音を通して流れる宇宙の生命エネルギーが、内的に行き詰まったり動けなくなったりしたところを的確に、優しくある時は力強く働いてくれます。
その治療方針はその方自身の内なる神性な自我(高次の自我)が決めていると言えます。自分を一番よく知っているのは自分であり、見通しを持ち全体を見ることの出来る高い自我、光と愛である神性自我がご自身の治療を進めることが出来るのです。
私はその方ご自身と、音に、聴いて音楽を創ります。
音楽が今までと違う仕方であなたに奉仕してくれることを知って下さい。
ここでいう「音楽」と「音」には、あなたの声や呼吸も含まれています。
あなたの声のメロディ、呼吸のリズム、感情と思考のハーモニーがあります。
人間は音楽そのものであり、音楽は人間そのものです。
私が音と共に、あなたの痛み苦しみに寄り添うことができますように。
あなたが地球の上で、宇宙の太陽のように星のように内から輝いて生きられますように!
ライアーと声のヒーラー牛山了子
音楽治療者として現場で25年研鑽を積む。治療を必要とするさまざまな子ども・大人と音楽の癒やしの時空を創造する経験を重ね、音と人間の肉体・エネルギー体への考察を深める。音楽と内的人間への直観的洞察と透感力を用いたパワフルなエネルギーヒーリング「ライアーと声のヒーリング」を2013年に創始。2025年に京都鞍馬山近くに移住。大地、自然、生きものたちと交流しながら現在は音の遠隔ヒーラーとして活動している。
ヒーリング時間はとてもリラックスして過ごし、こてんと昼寝することができました。
今朝も何か深部がほどけた感覚です。やさしく過ごします。
音の焦点が私のコアなところに当たっていたと伺い、何かホッとしている。
焦らずによりそいます。